テレビと宮崎駿

アニメ業界の低廉体質を招いたとして手塚治虫を批判したりした宮崎だったが、だったらアニメ工房との取引先であるテレビ局も批判すればよかったのにと思うのである。ナウシカが当たって、いいものをつくればそのまま当たると勘違いしてラピュタをつくってまた外してしまった宮崎は、学習しない人というよりは頑固一徹なのだと褒めるべきだろうか。魔女の宅急便で、スポンサー企業とテレビ局とアニメ工房というトロイカ体制がやっと整うのであった。

抽象的な「アニメ自体」みたいなものが存在するはずはない。自主制作アニメやテレビアニメ(無料で見れる)、劇場用アニメ(有償で頒布される)などがそれぞれ存在するばかりであった。千と千尋以降の宮崎作品が「面白いのは確かだけれどなんだかよくわからない」ものになっているのは、衆目の一致するところだろう。理想家はかれをささえる現実を無視しきれずに、しかるべくして支離滅裂になっていくのであった。