主体と観測者

戦後すぐの映画グラフ誌など読んでいると、戦前の邦画についてのスナップをよく見る。で、女優の仕草などを眺めていると、ああ「女ってこういうものとして想像されていたんだなあ」と感にたえないのである。

男が女を差別する→女が差別されている→差別される女は美しい、と、こうやって男は主観から自分が男であることを排除してやっと女を賛美したのであった(このあたり橋本治の受売り)。なあんだ、戦後の男女は両方とも男でも女でもなかったのだった。

おまけ。溝口ってルパンの映画なんか撮ってたのね。