三四郎
私は『三四郎』を読み出すたび途中で放り出していて、そのことを『四畳半神話大系』でひさしぶりに思い出して、こんどこそちゃんと読まねばと思い手をとった次第。
冒頭の「あなたはよほど度胸のない方ですね」の女、真偽はわからねど、夫が満州で音信不通になり、その話を聞いていた車中の爺は息子を戦争で亡くしている。うかつなことだが、はじめて、あっと思った。戦争批判なのである。
娘の学友の父親が戦死した話を聞いて漱石が言葉をうしなったことを柴田宵曲の本で私は知ったばかりでもある(この挿話の時期について柴田は書いていない)。
『パトレイバー2』公開直前に中田厚仁がカンボジアで殺されたのを連想せずにはいられないのである。
これもうかつにもやっと関連に思い至ったが、小谷野さんの『こころ』嫌いには天皇制への感情が影響しているのだろうなということ。方便としてでさえ天皇制を肯定的にあつかうことが小谷野さんには気に入らなかったのではないか。しかし、作中の先生の妻とその母のような人たちは、ごくあたりまえに多く存在するだろうなと私は思うばかりである。
明治一桁、十年代、二十年代と国家意識を育ててきて、そうしてなんとか成り立った日本という器になにを盛ればいいのか、途方にくれている人々を漱石は書いたのだろう。生きるために死にものぐるいで働いてきて、やっと落ち着いたのちに今度は生きることをしなければならないのに、彼らはなにもましなことを思いつかないのだ。