マット絵とCG

まだ若い頃の庵野秀明が『火垂るの墓』に参加して、力作の絵を仕上げたら、監督の高畑勲は非情にもその絵をシルエットとして真っ黒に塗りつぶしてしまった、ということがあったらしい。

せっかくつくった物も、映画の効果を優先して平然とつぶす。そういう判断をするのが監督の仕事である。『アバター』には、無駄な物はつぶすまえにそもそも作らないという考え方があるようで、それがせっかくカネをかけてつくった画面に独特のチャチさが残ってしまった理由ではないか。

1990年代は、CGをどう劇映画に使うか、制作者たちも手探りだった感があったが、マット絵の代用、発展系として共通認識が出来上がってきた感じだ。

もちろんマット絵以外にも、小道具や、それこそ俳優の代用も、したければできる。『アバター』がアカデミー賞から嫌われたのは、俳優たちに不快感を与えたからではないか。