『パトリオット・ゲーム』

1991年の湾岸戦争の翌年に公開された映画だけあって、遠く隔たった地域での殺戮風景を情報機器を利用して快適なコントロールルームからモニタリングするシーンが山場として用意されている。ハリソン・フォード扮するライアンは自らの「闘争」の帰結にすぎないこの現実を、しかし、どうにも理解する術を得られずにいて、ついには軽い吐き気を催す。

異人物同ポジのシーン転換がちょっと面白い。

ジェームズ・ホーナーの音楽は、『2001年宇宙の旅』のハチャトリアンとそっくり。ショスタコビッチの交響曲のようなパッセージもあった。

仲間は売れないが外国人(イギリス人の赤毛の女)は売れるとしたリチャード・ハリス演じるIRA幹部が面白い。ようするに、アイルランド問題は膠着していて、膠着した戦争には、描くに足る興味深いキャラクターが各種あらわれてくるのだ。あるいは、膠着した戦争は、もやは戦争とは呼べないのだ。

なぜ偶然居合わせたテロ襲撃を阻止したのかを問われて、その理由を語りだすハリソンの顔にカメラが寄っていく。これこそが、このトラックアップの手続きこそが、ハリウッドにおける「愛国者の遊戯」である。現在の日本でもなぜある動画を漫画喫茶からネットに流出したのかを問われている男がいるが…。

冒頭でライアンの家族が人生ゲームに興じていたのも印象深い。勝ったはずのライアンの娘はこのあと脾臓を失うのだ。