『羊たちの沈黙』
5年くらい前にみた時は、起っていることの凄惨さに幻惑されていたが、これは視線の映画でもあった。
『レッド・ドラゴン』の秀逸な設定(犯人がある職業に従事するせいで被害者の情報を「見る」)を、監督のジョナサン・デミはさらに映画全体に拡張しているのだ。見るもの(クラリス)は、見られるものでもあった。
孤独に努力した人間(クラリス)のストレスが、周囲の他者の視線によって表現される。地元警察の警官たちに胡乱な目つきでながめられる映画前半のクラリス。バッファロー・ビルを仕留めて表彰される映画終盤のクラリスを賞賛の眼差しでながめる同僚たちの映像はそこそこに、すぐさま祝賀会のシーンへうつりかわる。パーティーは、見つめあうというよりは、うちとけて談笑しあう空間だ。『レッド・ドラゴン』事件をすでに体験しているクロフォードがパーティーを遠慮するのが、なにやら意味深である。クラリスの視線をうけとめていた人々がゆっくりと退場していく。クロフォードは階段をのぼって、レクターは街道のおくのほうへ。ど正面の切り返しの映像でつづられた映画が、終盤にいたって乱れはじめるのだ。
マスターピースとしかいいようがない。