『マンガ フロイト入門』読了

後半はなんだか駆け足だったな。なぜ最初の抑圧がはじまるのか(たしかに、人間が人間である理由かもしれないが…)、説明しあぐねたすえ、フロイトは自我構造論にたどりつく。ようするに、構造だから、もともとそうなっているものだから、理由はない。そういう考え方に落ち着く(逃げ込む)のである。

こういう突き詰めなければ気がすまない性向には、いかにも西洋人だなあという感想が浮かぶのである。私はもともと起源がどうだったかの関心は薄いから、がんばる他人をみて、偉いことですなあとしか思わない。

情報公開時代の民主主義者として、私は、多分に19世紀的身分意識に拘束されたフロイトの自我構造論を認めることができないのである。世界には普遍などなく、個々の事例が無味乾燥に転がっているだけである。

「老人」「盲目」「売春婦」などの訳語を本書では内容の性質上、やむを得ず使ったこともお断りしておきたい。
(『マンガ フロイト入門』小林司の訳者あとがき 186ページ)

これはちょっと驚いたなあ。別に蔑称じゃないのに!