『うらなり』再読

小説冒頭、昭和九年の古賀と堀田が会食する「<マイアミ・キッチン>」は、幼かった小林信彦が連れられて、緊張のために食べた食事をもどしてしまった(「小間物屋をひろげた」)店である。

2章と3章で、小林おなじみの財産喪失のテーマ、家屋のテーマ、失恋のテーマがつるべうちになるのも、変な表現だが「小気味いい」。

たしかに「第一次世界大戦」は大ぽかの類だろうけれど、なにより、漱石のパロディにするのか漱石の作品世界をかりて自分の世界を描くのか、小林のなかで判断がつかないまま書きはじめられてしまった様子なのである。冒頭3行目の「左様」など、よしておけばよかったのに、と思うのである。

「マドンナ(聖なる母という意味だ)」が、なんだか生活にまみれた俗なおばさんに成り下がってしまっている様子を描いたのは、小林信彦にしては珍しい。執筆中に異様な状態になったのはこれがはじめてだ、というのは、「これがはじめてだ」込みで小林がよく話題にするシチュエーションなので、こちらは微笑ましく思っておくしかないが、たしかにこの小説には理想化された女が出てこない(おっと、居酒屋の娘がいたか)。

あとがきに相当する文章で、『坊っちゃん』なんていろんな版が出ているというのに、やたらにワイド版岩波文庫のページ数を明記するあたり、なんだかブキミでもある。