『ばかもの』(金子修介版)

『秋津温泉』のパロディみたい。人が死なないミステリー、ではなくて人が死なない『秋津温泉』。

内田有紀は1990年代にずっと好きで、ちょっとおかしなくらい思い入れていて、あとでチャガワリュウノスケ先生と結婚してくれたおかげでかえってほっとした感じさえあったのだったが、なんとゼロ年代もおわりの今ごろになってこんな映画が登場したのだ。生きてるといいことあるね。

主人公は成宮寛貴(好演)のほうで、それなりに裕福な家庭で逆境を知らずに育ったことがアダとなって、社会に出てから苦労する1981年生まれ(推定)の男を演じている。

私はわりと苦労したほうだから、20歳代のころは、主人公のような境遇に嫉妬や憎悪を感じていたのだが、最近はそれほどでもなくて(憎悪するにもエネルギーが必要だから、たぶん、それが枯れてきたのだろう)、ただただ興味深く、彼の没落と再生を拝見した。

終盤で、彼はそれまでの行き方(あるいは生き方)を捨てる。要するに他人の顔色をうかがうのをやめて、自分のしたいようにすることにしたのだ。ラーメン屋の娘は傷ついただろうが、人を傷つけることでしか前へすすめないのが人生である。

有紀なんかより(なにしろ好きすぎて他人と思えなくて気安くなっているのである)白石美帆様が、かえってキワキワのところを行っているんだなあと感じた。学校の先生ということで『ハルフウェイ』とイメージが被っている。変身の時期が近づいているなあと思った。

有紀は白石様よりも先に川を渡ったわけだ。そういえば後半の有紀のメイクは、『アルゼンチンババア』の鈴木京香みたいだったし(ウェンツ瑛士の鬼太郎のようでもある)、これからの変身は、「成長」のようなものではなくて、ああいうちぐはぐさを平然と身にまとえるようになることになるのかも。

これ、金子監督の「ボクはこれからの日本をどうしていいかわからないけれど、とりあえず、若い君らのことを見て見ぬ振りだけはしなかったよ」宣言だと思うのだ。

そういえば、オウムで宗教は終焉したわけじゃなかったんだよな。パナウェーブとか、ライフスペースとか、あまり詳しくないからこれ以上名前が出てこないけれど、いろいろあるんだろう。宗教に入れ込んで搾取されしまいには殺される中村ゆりが、新しく生まれる子供のためということを言うのが示唆的で(ここで私の感情が激発する)、あんたの親だって、そのまた親だって、最初は赤ん坊だったんだよ!! 遠回しに親を非難するような真似をするな! 親が気に入らなかったらただ無視すればいいだけの話だ。

さすがに金子監督は常識的な市民だから、あんまりそういうことを言うでもない。しかし無頼を描きながら実生活は市民的なあまたの偽善者どもよりはずっとましである。(書きかけ)