いろいろ考える

日常生活におけるデジタル化はいったいどういう意味をもつのか。「大きさ」とか「比率」とは結局なんなのか。法律と不文律と人倫(夫婦別姓はここに入る)。現実と言葉。空間とそれを維持する労力。

デジタルに依存する生活は、ようするに「事前にこれから起ることが分かっている」ことを要求する。いったん不具合が発生したら、それを解決するまでの段取りを考えたうえで厄介ごとに対処しなければならない。手癖というものが、通用しない。

現象に意味を付随させないと、デジタルで現象を管理することなどできないのだ。だから「意味」について一生懸命勉強しなければならない。マニュアルと首っ引きになって。

いやはや、20世紀後半は、まさしくアナログとデジタルの端境期だったんだなあと感慨しきりである。ラジオ、テレビ、電話の一般化ってそういうことだったんだ(もっといえば文庫本やマンガの大量生産なども)。デジタル生活に突入する前の準備期間だったのだ。つまり、アナログで21世紀のデジタル生活を模倣して人間に馴致させていた。20世紀後半の意味は、まさしくここにあった。