本音とされるものが建前("Phon(e)y")になるとき

アメリカ 村上春樹と江藤淳

アメリカ 村上春樹と江藤淳

坪内祐三がちょっとずるいと思うのは、江藤淳が『自由と禁忌』のなかで、「ロックフェラー財団研究員とは、いったい何だったのだろう? これらは後世の批評家や文学史家が、解き明かさなければならない一つの興味深い宿題である」と書いているのに、そのことを黙っているのだ。「こういう本」の中で『自由と禁忌』について触れているのに。

そして、この本は批評書でもなければ文学史の著作でもない、その趣なきにしもあらずなエッセイ、あるいはゆるやかな私小説なのだ。「興味深い宿題」をこなすのは自分には荷が重いと、坪内は判断したのだろう。

終幕で小島信夫との面識を得ることに、坪内が過剰にビビったのが、おかしい。この本は、江藤や小島や春樹たち、つまり「留学した人」に、坪内がほのかな憧れをしめした本なのであった。

この本のなかで坪内はその名をふせて岸田秀にも言及しているけれど(ここで坪内は岸田と江藤の、それぞれの「対アメリカ関係における性的比喩」の違いについて分析する煩わしさから逃走している)、あっと思ったのは、彼らは、つまり江藤や岸田や石原慎太郎は、終戦時に精通していたかどうかということが気になったのである。これは実はそうとうに重要なことなのだが…。

岸田は『ものぐさ精神分析』でブレイクしてから江藤淳と対談して、そのとき江藤はやけに上機嫌だったのだが、坪内はこの本で加藤典洋が江藤から「十年来の知己に会ったような気がする」とも書かれた手紙をもらったエピソードを紹介していて、たしかに江藤にはこういう側面があったと思うのである。情が濃すぎて「すけべ」におよぶ感じとでも言おうか。江藤と岸田の対談を読んでない人には一読をすすめるが、これは、親しげなのをとおりこしてなんだか猥褻なような感じさえ読者にもよおさせる気恥ずかしいものである。