形式主語を訳すかあらわさぬか

アメリカ 村上春樹江藤淳の帰還』のなかで坪内祐三は、”The Catcher in the Rye”の文中に頻出する形式主語Youを律儀に「君」と訳す村上春樹を、マーク・ピーターセンや加島祥造をひきあいに出して批判する。

この箇所に不思議なひっかかりを感じながら私は『『別れる理由』が気になって』を読んでいたら、小島信夫坂上弘の小説をとりあげて、形式主語Youを「貴殿」と訳すことの「制度によりかかった発想」を小島にしてはきつい口調で難じたエピソードが、坪内によって紹介されていた。

出版順では『気になって』のほうが『アメリカ』よりも先行している。初出順では、ほぼ同じ時期のようなのだが、よくわからない。

見えてるものに意味がないというのは、西洋人のよくやる発想で、わからないでもないのだが、ここはどうも、ピーターセンの言い分にひっかかりを感じるのである。ゴッドセイヴアメリカ、このゴッドは実は存在しなくて、みんなでアメリカを守らなければならないという決意を、たまたまこう表現したのですよ。たとえば、ピーターセンがここまで言うのであれば、私は耳を傾けないでもないが。