いやしい、の思い出

偉いの反対語をふと思い出せなくなって難儀して、あとで、そうだ「卑しい」だと思い出して、そして不思議な気になった。

子供の頃は親から「いやしいことをするな」としつけられたが、私は、「いやしいこと」というのを「意地汚いこと」「度を超して場違いな執着を示すこと」「我慢強くないこと」というニュアンスで感得したのだった。しかし、卑しいというのは、まずなにより「身分が低いもののようである」ことなのだ。

もともと身分の違いとか作法とかの考え方を憎むところのある私は、高校を卒業したあたりからどんどん「粗雑」になっていった。すすんで個食を選び、「いただきます」と言う作法を忘れた。歩き食いなど、高校の頃よりも学生の頃のほうがよくやっていた。自分の無作法を科学主義などとうそぶいていたが、要するに、自我がしきたりに拘束されることを嫌ったのである。

そのころから「他人を尊敬せず、軽蔑もせず」をモットーに生きてきたのだが、それが嵩じて、偉いとか卑しいとかの語彙を忘れかかるところまで行ってしまったわけだ。