あっ!

筒井としては、こういうことを言うことも、「文学」の営業品目に含まれていたのかもしれないなあ。政治家が個人情報保護を盾に出版を妨害することについて、筒井がわざわざコメントではなく文章を書いてこれを非難してフライデーだかに載せたことがあって、私はそういう筒井のふるまいがなんだか不思議だった。

これは、私は、いま卒然として筒井の真意がわかったような気になった私は、これをフォニーであるとは全然思わないのだが、しかし同時に、この筒井のふるまいを不思議に思ったり、茶番だと思ったりする読者大衆は膨大にいるだろうな、と思ったのである。「なんだ、かっこつけやがってよ。そんなことしたって、意味ねえよ」と。意味を重視して、当人の気持ちをまったく忖度しない、客観的な社会が到来した。たとえば、タバコを吸ったって健康への寄与はないのだからと平然とタバコを弾圧するような、そういう社会。

いまの世の中、だいたい筒井の危惧したように展開しているではないかと思うのである。炭坑のカナリアを地でいった筒井は、1990年代の前半にいつもぐずっていたわけだ。「なんだかへんだ、なんだかいやだ」って。