『日本橋バビロン』

なんでまた、日本の近世以来のいち商業区画が、古代に栄えて滅んだ国家の首都になぞらえられるのか、私のような<部外者>には不審なのだが、ようするに著者の政治ぎらい、あるいは世間ぎらいを表明しているのだと受け取っておけばいい。「こここそ私の国家であり首都であった」。

本作は「東京三部作」や『うらなり』における、入念な<発語訓練>を経て書かれたものなので、さすがに素晴らしい。叔父の<浜田山>と<若松町>にたいする若き日の著者の葛藤を目にして、読者は小林信彦が小説家にならなければならなかったわけをうかがい知ることもできる。

子供の頃に幽霊をみたとする著者の記述が興味深い。私は江藤淳の浅い読者なので、まだ江藤がオカルト話をした文章を目にしていないのだが、きっと江藤もどこかでやっているに違いないというへんな確信がある。私は、この世代はきっとこうだ、という、ある種の偏見を抱いているのである。とりあえず小林信彦がこういうことを書いたという確認はした。石原慎太郎が意外とオカルト話を好むのはすでに押さえてある。