荷風「つゆのあとさき」を読む

 君江への反感と、鶴子を失ったショックとで清岡進の生活は荒廃し、仙台などへ講演旅行へ出るあたりで彼は小説からフェイドアウトしてしまう。私の「つよのあとさき」の(1)から(3)までは、これを読まずに書いたので、仙台がでてくるという偶然の一致に軽く驚いてしまった。

 カフェーというのはよくわからないが、昔のクラブと今のキャバクラの中間に位置するようなものなのだろうか。

 男が相反する感情を女にいだく心理を、ごく細かく描いていて、なるほどなあと思ったのである。荷風の感情は、清岡や父の煕、川島金之助らに均等に配置されているようだ。矢田などは喋りすぎていてかえって造型くさい。君江にむかって、二股三股の始末の仕方をレクチャーする松崎というキャラクターが興味深い。

 「すっぽかしはあやまるぜ」という言い回しがあって、さすがに死語だろう。「すっぽかしはごめんだよ」という意味なのだろう。

 君江の上京当初の同居人で不良仲間の京子の説明を、荷風は一度したことを忘れてしまったのか、二度も三度も繰り返すのが可笑しい。興が乗るまでに時間がかかったのだろう。

 この小説は昭和6年に、50代に入った荷風が発表したものなので、若者たちの描写が浅いのである。これにはちょっとはっとした。発表当時に読んで、飽きたらない思いをした若者たちも多かったのではなかろうか。