丸谷才一が近づきたいのは「民衆」か?

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110502

 とてもそうは思われないのである。丸谷が近づきたいのは、「西洋モダニズム文学」とか「日本の王朝時代」とか、そういったものではないかと思うのだが。

 最近の若い読書好きは、丸谷のことを、「スティーグ・ラーソン『ミレニアム』シリーズに帯文を書いた人」として認知しただろうし。

 小谷野説では、語彙の高尚・難解なのを無視して、作品の構造が通俗小説しているものならば、「通俗小説」カテゴリに含めるから、石川淳高橋和巳井上光晴が通俗作家である、という発言になる。これはやはり特殊な説であって、ある種の人びとが憧れるのは(柳田國男がそうであったような)「良心的官僚」なのではないか。丸谷は、そういう気味なら、なくもない。

 しかしまあ、こういうことをいう時の小谷野さんは、フロイトも驚くほどの普遍主義者に変身してしまうのだ。