疎漏のいろいろ

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110602

 「おさべ」か「はせべ」かということで、司馬は手書きだったろうし、この間違いはそれほどはやしたてるまでもない気がする(さらには、原稿では正しくて司馬がゲラをみなかった可能性を考えてもいいのだ)。また、こういう半著名人とでもいうべき立場の人の表記の校閲については、出版社も悩むところなのではないか(著者に「名刺があったら見せて」とお伺いを立てるとか……)。旧字を新字になおすのなどは機械的だろうけれど。

 「援助交際」の定義というのを私は知らないが、あのころのイメージを思い出しながら書くと、固定電話や携帯電話を駆使して条件を交渉するという手続きを通過した自営の売春、ということでいいのだろうか。もちろんうしろぐらい領域にかんすることなので、明瞭な線が引けないから、「女子高生限定だと思ってた」「実際は違う」などと言い合うことが、そもそもくだらないことだったのである。実態だの全容だのわかるわけがない。「したことあるひと手を上げて」などと社会に向かって言うのだろうか。経験者がひたかくしにするだけではなくて、その場合には面白がりの嘘つきが手をあげる場合もあるだろう。

  • 偽の対

 「不良少女」と「成績がいい子」が対になっているのを見て、ああなんだか懐かしいなと一瞬思ったが、たしかにこういう「偽の対」とでも呼ぶべきものは世の中に充満していると思うのだ。偽の対によって、思考が惑わされてしまうということはありうる。よく考えたら、「不良少女」が存在しているのではなく、ある種の存在を、私たちが「不良少女」と看做していただけだった。いまの私だったらもっと敷衍して語れる。要するに処女であることが重荷であるという感性が、あの時期に伸張したのだ。それだけである。童貞であることにも処女であることにも意味がなくなって、意味がなくなった価値は、道具として使用することで「笑える」なにかにしなくてはいけなくなった。若者たちの主体はそういう風に状況から追いつめられたのである。

 私などは、小谷野さんのもてないねた・童貞ねたの言説も、宮台の援交言説と同一の時代状況が生んだものだと理解している。性を、せめて語ってやることで、価値の座から引き降ろさなければいけない、という焦りのような感情。普通のひとにとっては、性は、特に語るようなことではない。何を食べたか、何を飲んだかを、いちいち語ったりはしないように。