匿名批判と迷惑防止の原則

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110723
小谷野さんの主張は、要するに、批判という行為には、その対象が迷惑を感じるという副作用がついてくるから、その副作用をできるだけ管理できるようにしよう、というものだ。


深沢明人の文章は、小谷野の感覚に同意できないという主張であって、文章のみてくれとは反対に、自分の内面をつづったエッセイ文にすぎない。深沢にとって、かつてみた「自転車をこぎながらどなる男」の印象が強くて、これを小谷野さんに関連させてみたかったのだろう。大衆は自分の理解したいように現象を理解する、というのは私がオルテガの本から教わったことである。


もちろん、ブログやツイッターを介さずに、小谷野さんにメールなり葉書や封書で意見や批判を送る「まともな人」はたくさん(?)いるのである。深沢がまともな人であったなら、ブログで「わからないこと」を表明するまえに(しかしそもそもこれ自体が法外な話だと思うのだが)、小谷野さんに直接みずからの意見を質すべきであったろう。「僕がむかし路上で見たきちがいにあなたはソックリなんだけど、そういうことでイイよね!」とか。


これもまた私が最近よく考える「それぞれ異なるはずの事実と願望を人間はひとつの脳で処理しなければならないから、人間はしばしば混乱する」テーマの一例であろう。