テリー・イーグルトン『宗教とは何か』

図書館にあったので読み始めている。とりあえず半分まで読んだ。それほど面白いわけではないが、自分の考えをまとめる役には立つ。宗教は、内省(つまり自分の思いや考えを吟味し、まとめる行いのことだ)の機会を生活に組み込んでおく機能を担うものだと私は思っている。


本とは特に関係のないことがいくつか思い浮かんだ。流行というのは、時間をひきのばした「祭」のことなのではないか、というのがそのひとつ。祭、流行、日常、と時間が延びていく。日常以上の長さ、スパンをもつ時間を、人間は通常体験できない。祭が1日から数週間、流行が数週間から数年、日常が数年以上の時間をあつかう。


あまり好きな映画ではないが、『ミスティック・リバー』の登場人物たちは、犯罪を犯す経験を経て日常に復帰し、地域社会の行事に顔を出すことで、日常の時間というものの発するクロックを受信して生きているのだ。経験の衝撃度が強すぎたティム・ロビンス演じるデイヴだけが日常のクロックを受信できなくなってしまう。この映画は、日常とは何かということを、結果的にだが、思考しているのだった。デイヴ殺害が誤解をもとに行われたことを知ったとき、日常を失いかけたジミーはショーンに対してある時間論のようなものをコメントする。