UMAとしての神

イーグルトンの「イエティ的観点」という切り口は面白い。ようするに彼はドーキンスのような神の理解を、神をUMAの一種のようにみなすことなのではないかと疑っているのだ。この本の翻訳者がrento先生ではなくわたしだったら、ここは悪のりして「UMAとしての神」と超訳することだろう。


ヒューマニズムが結局は神学と大差ない単なる一般化と願望の混濁物であることがいよいよはっきりしてきたと思うのである。思想的なとりつけ騒ぎの発生が近いうちに起こるだろう。