『虐殺器官』

虐殺器官とはずいぶん物騒なネーミングで、これはいったい何かと思って読み進めたら、個人的な憎しみからではなくあくまで政治的な判断として他人や他のグループを抹殺していいとの判断を促す文法が、人間には生得的にその脳に仕組まれていて、そして脳は人間の内臓、つまり器官だから、人間の脳すなわち虐殺器官である、と、こういうことらしい。


文章は達者だが、あつかっている素材がけっこう有名どころの映画に偏っているし、思弁も、科学啓蒙書のよくある議論を咀嚼しているだけのものなので、わりあいに読書の感動というものは薄い。ジョン・ポールは『劇場版機動警察パトレイバー』の帆場を饒舌にしたようなキャラクターだ。


あまり説明されない「虐殺の文法」だが、難しく考えなくても、言葉遣いや文章の粗密によって、他人に伝えるニュアンスは操作できるものである。現実の世界でも、広告代理店が広告やマスコミの現場で、語彙の選択や文法の改変などを管理しているというのは、わりとありそうなことである。なにもおかしな言葉遣いは「東大話法」に限らない。「橋下話法」も「石原話法」も、それこそ「小谷野話法」というのも、私などには実在しているとしか思われない。


それにしても小谷野さんがひっかかりを感じたのは小説のどこなのだろう? エピローグで主人公が陳述した証言が事前に虐殺の文法で推敲されていて、それが放送や報道で広まるにつれてアメリカ国内で暴動が頻発するのだが、それを小谷野さんは、主人公の思念が放送を伝わって暴徒の行動を促した(念力のように)とでも解釈したということなのだろうか? これをメトロン星人のタバコに例えるのは、さすがに不適当なようである。