言葉はわからなくて当然、という考え方

万葉集をはじめから順に読むと雑歌などあって、しかも短歌ではなく長歌や旋頭歌などの長いものは、こちらがそもそも古典の教養を欠き、さらには古語辞典も碌に引かずに読んでいるからというのもあるが、これらがよくわからない。「そのこころは」と言うときの心、つまり意図がよくわからない。


原文をにらんでいて、ふと気付いて、はっとしたのだが、これは話が逆で、わからないのが当たり前だったのだと思うことで、腑に落ちた。偉い人が、言葉を選んで表象することそのものが歌の眼目なのである。解釈は追ってゆっくりすればいい。


私は現代人なので、枕詞とか掛詞とか、古代人のくだらない風習だくらいに、つい考えてしまう。しかし、なにごとにもルールはあるものである。