「断片」について

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20120809
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20120811

ハタメイコ余聞、ということで、YMをめぐる事件がひと段落したので、フレームアップの当事者による告白である。


読んでいても何も意外な気がしないのは、リアルタイムで小谷野さんのブログを追いかけていたから、なのだろうか。


この頃の私は事件から一般論を引き出さなければ気が済まない重い病気に罹っていたから、このケースを舌なめずりして受容したものだ。


週刊新潮の記者も、小谷野さんも、ハタメイコ自身のバックグラウンドを調査しなかったのは、当時の私ならともかく、今の私からすれば不注意なことである。ハタメイコから連絡してきたのだから、私にはハタメイコを知るための努力を払う義務はない、と小谷野さんが考えていたかどうかは知らないが、手ぶらで現場にやってきて、心にきざした不審を相手にぶつけようともしないで、ひたすら不安に陥るという形で「自分を確認する」だけの小谷野さんなのであった。自分の下心が露見するのが怖かったのである。


ゲームのルールがそもそも明確ではなかったのだ。大学助教授(准教授?)が学校で学生をレイプしたら、それは当然雑誌に書かれても仕方のない事件だっただろう。その線に沿うように週刊新潮の記者は仕事をしただけだ(至らなかったが…)。小谷野さんは、単にYMを嵌めたかったのか、それとも哀れな被害者の窮状を世間に訴えたかったのか、自分でも見極めがつかなかったのである。


私はハタメイコや小谷野さんに騙されたのか? もちろん違う。もっともっと浅ましい失態をさらしていたのである。つまり、当時の私は自分の偏見を実在の他人に押し付けてあれこれ言うという恥じるべき娯楽に耽っていて、小谷野さんやハタメイコをそのために利用していたのである。ハタメイコが週刊誌発売後に小谷野さんによこしたメールに書かれた、「騒がし」さというのは、そういう私や私の同類たちが発した、豚のような嘶きの響きなのであった。