香川頼央の述懐

『エディプスの恋人』の後半を占める香川頼央の述懐には感動した。13の餓鬼にはさすがにこれは難しかったろう。40過ぎの男の述懐としてこれは相当に濃密なものだ。関西に帰ってやっと落ち着いた筒井自身の正直な気持ちも少なからず盛り込まれているだろう(頼央が珠子を失ったように、筒井も最初の子供を流産で失っている)。ここまで吐き出してしまったら、普通小説でやれることは他にはちょっと思いつかないだろう、ということで筒井にとっても幸運なことに、この小説の後に、あの1980年代がやってくる。『唯野教授』の、パロディ全盛の、あの時代が。

かしこまった村上春樹論がどうしてもおかしくなるのは

やはり村上の小説が「泥遊び」のようなものだからだろう。泥遊びは人間の精神に寄与するものだが、しかし他人に説明するようなものではない。通過して、振り返ってあれこれ思うことしかできない。自分の中で。泥遊びを社会的に位置付けようというのが、そもそも幼児的全能感に裏打ちされた1980年代的スノビズムだったのだ。後世の文学史は1980年代からの「村上春樹論失敗の系譜」を綴るだろう。