「こころ」まで、そして「道草」「明暗」

 「ありえたかもしれない自分の自殺」までを表現することで、はじめて漱石はいつわりなく自己を眺めることができたのではないか。それが「道草」となった。「道草」が弾みとなって、漱石はどうにもならない他人たちが交響する世界を描き出した。それが「明暗」なのではないか。「明暗」が通常の漱石長編の2倍の分量になってもなお完結しなかった理由は、作者が終わり方を探しあぐねた側面もあるだろうが、「明暗」でひらけた新生面にみずから驚嘆し、この新世界を果てまで探求しようとした情熱にもあるのではないか。