宙に浮いた動作を遥かな未来からふり返る

表層批評宣言 (ちくま文庫)

表層批評宣言 (ちくま文庫)

戦後から時間が経過して、衣食足りて、さてなにを話すべきか、語るべきか、エクリチュールを綴るべきか。その白くもとめどなきささやかな思念からふと我にかえり、深夜の帳があたりに降り来たった書斎の中の自分が座を占める椅子のあたたかみを感じながら、著者は、これから世に憚るべき忌まわしき辞書に収めるべきいままでの紋切り型を、その面前に整然とされた白い原稿用紙へと拉し去るべく万年筆を握り、上腕を持ち上げはじめる……。

著者が試みた一夜の動作から三十年の時が過ぎた。

匿名性が、著者が夢見たような、安穏と納まりかえった常識を不意打ちするような爽快なものではなく、出来合いの情報を、あたかも自分が発見したかのように得々と語る退屈なプチブルの群れを指す用語となって十年余りが過ぎ去った。

著者が訴えた、表現に際しての心構えというものは、まったく後継者に響くことがなかった。

ただ見るだけでよく、生きるだけで構わない。この表現の極意を、プチブルたちは一顧だにせず、現在も、買えば習得できて読めば日本語通になれる魔法の伝道書を、一万円もしない安値で購い、脳のトレーニングと称して(しかし、それは何か?)誰でも買えるピコピコで「有意義」な時間を組織したと満足を捏造して、日々をやりすごしている。

それはそれで構わない。すべては経済の現象で、知らず知らずのうちに加入させられている経済の参加者たちの、これが正直な振舞いだ。なにも付加える必要がないし、もちろん声高に訴える(しかし、それは何処で?)などは余計なおせっかいと言うものだ。

ただただ生きろ。まちがっても心にもないことを言うな。そういう著者からのありがたい御達しでした。言葉ではなく行動としての言語、言語の表現、その習得に日々を費やすことを恐れないこと。生きることを恐れないこと。