河野義行氏はおかしなことを言ったのか?

 猫猫先生へ報告します。図書館へ行って朝日新聞の縮刷版から、ご紹介の記事「◆オウムと社会 排除の思想を超えよう」のコピーを入手してきました。

 この文章を読んだのですが、わたしには河野氏がおかしなことを言っているとは思えません。公安が主張する「(オウムが)無差別大量殺人に及ぶ危険性がある」というのは、イラク戦争を経過したいま、アメリカの「イラクが保持する大量破壊兵器の危険」というのを容易に思い起こさせますが、95年のオウム一斉捜索でテロ兵器の材料をつくるプラントは当の国家権力が押さえたのだから、この「危険性」というのはまさに可能性でしかなかったわけです。

 日本というのはいちおうは法治国家のはずなのに、憲法が定めた人権イデオロギーを、現実において世間イデオロギーが凌駕している(河野氏は「世間の声」と表現しています)。これは実際に矛盾していて、現時点では矛盾していると認めるしかない。河野氏の指摘はこの現実を指している、これに尽きるのではないでしょうか。そして、わたしはこの指摘を「おかしなこと」だとはとうてい思えません。

 事実の指摘に代案は必要ないというのは、猫猫先生の主張だったはずです(「すばらしき愚民社会」)。

 ここで、河野氏の気持ちを忖度するならば、なにげない日常を送っていたのに、突然松本サリン事件に遭遇して奥様が被害にあわれたというのに、国家権力が自分を拘束して自白を強要する、この恐怖が翌年の地下鉄サリン事件まで9ヶ月も続いたのです。それこそ、河野氏のトラウマを猫猫先生は察するべきなのではないですか?

 さて、河野氏のどこがおかしいのでしょうか? 猫猫先生の復讐イデオロギー河野氏が組しないから? しかし、そんなこと(とあえて表現しましょう)は河野氏の勝手であるべきです。