楽しむ/楽しませる

 楽しませるのはけっこう難しいことだと思う。とくに、いまみたいにいろんな意見をもっているひとびとを楽しませようというのは。

 趣味についての記述をネットに公開するのは、ようするに脳がリダンダンシーを快感に感じるから。スピーカーのそばに、そのスピーカーにつながっているマイクを置くとスピーカーがハウリングを起こすようなことを、人間は文章や、他の手段をつかってやる。

 つまり、儲からなくて、無意味なことこそ、人間は熱中してしまう癖をもっているのだ。これを逆に考えれば、ひとが熱中する仕事は、えてして他人にとっては無意味なものである可能性がある。掃除や片付けなどは、有意義な仕事だが、それゆえにかえって人の興味をひかないのだ。

 かつて詩人がいて、聞き手がいた。都市化が進展して、詩人の言葉は文字に託された。いまや文字のやり取りは電子の通行に託されて、あなたがいま読むこの文章は、あなたの端末で文字に復号された数字の列にすぎない。大量に情報を取得できて、その差異の判定が容易になる時代には、批評家すらも御用済み。