それは飽食か

久坂部羊氏の「断」を検索していたら、また中村文則氏の主張が目に留まってしまった…。http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20080224/p4

他の店はどうか知らないが、僕の働いていた店では、消費期限が切れた弁当は必ず捨てなければならなかった。大きなゴミ袋に、大量の弁当を捨てていく。当時の僕の一食の平均は200円と決めていたから、とてもコンビニ弁当など買えない。自分が買えないものを、そして命である食物を、次々と、大量に捨てる。あの罪にも似た悔しい感覚は、まだ僕の体に体感として残っている。日本は本当に、過度の飽食の国だ。http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080124/acd0801240323001-n2.htm

食あたりを起こしたら事後処理が面倒だから、廃棄弁当を従業員が手を付けることも禁じるという内規があったのならば、「悔しい」というのもわかるが、この文章からはそのあたりが不分明である。しかし廃棄弁当をコンビニ従業員が食べてるなんてのはよく聞く話だが・・・。

農家だって豊作になりすぎたら廃棄するし、工場だって陳腐化した製品は生産しないし、出版社だってベストセラー倒産というものがある。1次産業、2次産業、3次産業、どれも市場原理にのっとって生産するかぎり、そのような調整からは逃れられない。飽食というのとは、ちょっと違う問題である。

私がテレビ局で働いていた時は、スタジオ清掃員が処理する前のスタッフ弁当を目ざとく見つけて食べるのを、ゲーム感覚でやっていた(一口噛んでヤバイと思ったものは吐き出してた)。おかげでブクブクと太っていたのだが。