デ・パルマの殺人オブセッション

財務省のエリオット・ネスはシカゴギャングのボス、アル・カポーン(カポネ)の身辺を洗い、彼を収監しようとするが、カポーンは殺し屋をネスに差し向けて、それを回避しようとする。

ここで、ネスが殺し屋を返り討ちにしても、しかし、それは私闘でしかないのだ。ネスの戦いを、公憤に結び付けなくてはならない。では、公憤のネタを用意しよう。

それが、「アンタッチャブル」における、冒頭の少女爆死シーンなのだ(殺そうとしたわけではないので爆殺ではない、しかし、まあ、「われら」にとってはおんなじことだ!)。デ・パルマは、エンタテインメントの作者として正しい判断を選択したのだが、その判断には綾がなくて、いくらかの観客はその綾のなさにたじろいでしまうだろう。10数年前の少年のころの私は、そうだったのだが……。

死や殺人にたいする強迫観念の持ち主として、スピルバーグデ・パルマは、ハリウッドにおいて双璧だろう。

ショーン・コネリー扮する捜査官、ジム・マローンに忍び寄る暗殺者の、むやみに長い視点映像には、人を殺す経験をしてみたいという切なる邪悪な願望が満々と湛えられている。

さらには、その「暗殺者」がおとりでしかなくて、マローンは、奥に控えていた真の暗殺者にあっさり蜂の巣にされてしまう皮肉な展開が面白い。

この皮肉さは続きがあって、セントラル駅の階段シーンにおけるネスと捜査官ストーン(アンディ・ガルシア)の行動が面白いのだ。乳母車を持ち上げあぐねて困惑する女に、ネスが素早く手を差し出さないのは、家庭と仕事の板ばさみを表現していて面白いし、この間、ストーンは離れたところを見回っていて女に気付かない。

見かねたネスが、女を手助けして乳母車を引き上げる。帳簿係を護衛したギャング達が到着する。銃撃戦がはじまる。ストーンはまだ来ない。乳母車が落ちていく。ネスは着実にギャングたちを仕留めていく。乳母車が落ちていく。ネスが乳母車を必死に押さえる。しかし押しとどめきれない。ネスの銃が弾切れになる。ストーンが間に合う。銃を投げてよこして、みずからもギャングを仕留める。ストーンは乳母車の下に滑り込んで、赤ん坊を救う。

そしてここからがデ・パルマの非凡なところだが、彼は、ストーンを乳母車の下に滑り込ませたまま、手にする拳銃の標準を、生き残ったギャングの額に合わさせるのである。ギャングは動転して、脇の帳簿係の首筋に自らの拳銃を突きつける。完全に状況を読み違っているのである。家庭人でもあるネスは、ここで銃を下ろし、独身のストーンは狙いを外さない。独身か家庭人かは、「アンタッチャブル」全編をつらぬく重要なモチーフである。独身者ストーンは、冷徹にギャングの額を打ち抜く。それが職務上必要なことだったからである。腹で乳母車を支え、赤子を救ったまま、ギャングを射殺して、背後の壁には傷口から飛び散ったギャングの脳のかけらがへばりつく。

デ・パルマの皮肉が炸裂するシーンである。