吝嗇な人間の無駄遣い

私は病的に吝嗇な人間だが、たまに無駄遣いをする。そういうことが必要なのを経験的に知っているからである。

いまの経済が行き詰っている理由には、合理化と価値増大化の一辺倒で押し通しているから、という側面もあるのではないか。自分のリアリティをふと変えてみるというのは、社会にとっても必要なことではないのか。

行動を言葉に一致させる。言行一致。有言実行。いいことのように聞こえるが、これって要するに、原理主義ってことでしょう。原理主義がこわいことになるのは、みんなさんざんその実例を見ているではないですか。

無駄遣いをすることで、無駄だと思っていたことに意味を感じたり、意義あることと思えたものがそうでもないように感じたり…。

浪費する一方の人間が、堪え性のないアホだというのは、これはほぼ確定事項になったと思うけれど、セルフコントロールが効きすぎる人間の問題というのが、この情報化社会の21世紀にクローズアップされてしかるべきだと思う。自分の強欲が強欲であると反省できないモンスター人間がゾンビのように大量にわらわらと発生して…。