現在の問題、未来の問題

もういちど養老孟司の言に立ち返るべきだろう。「現代人はすべてを現在にしてしまう。未来も過去も現在にしてしまう」。

反戦な家づくり』の人が、建築について言うことは、建築について知識のない私にはまず信用できるのだが、それは確認も検証もする能力がないのだから、言葉の使い方を見てまあ信用できるなというしかないということだが、しかしあんなに熱中している地球温暖化デマ説というのは、私はどうだろうとおもうのだ。

私もまた、地球温暖化デマ説というのは、ありそうな話だなと思うが、しかし、それが未来の子供たちを救うために是非とも参加しなければならない聖戦だとまでは考えないのである。

私がなんで、「地球温暖化デマ説に立ち向かえ論」をあやしーなーと思うのかと言うと、それはやはりその論が未来にかかる話題だからだ。未来のために働けという論理は、例外なく、イデオロギーのための扇動でしかない。

翻って、『反戦な家づくり』の人が、穏当に、冷静に語る建築についての話題は、実際にも現実の現在の話題であるのだ。怪しいと感じられるところは特にない。

ふとナチスと連合国の戦いを思う。戦争中から、ナチスユダヤ人を排斥し、収容所に隔離していたのは、連合国側にも知られていた。ガス室の大量虐殺が知られたのは、戦後のことである。ふと思うというのは、いまの人は、ナチがユダヤ人を大量虐殺していた「から」、連合国が戦争していた、とでも思っているのではないかな、と思うのだ。

あんなに良さそうな人が、あんな恐ろしいことをするなんて。最近では江東区のサイコがそうだが、まあ、そんなもんなのである。私みたいに、こんな狂犬ブログをつづって満足している奴は、無害の最たるものである。

そういえば大日本帝国も未来のために大東亜戦争を引きおこしたのだった。なにしろ「七生報国」なのだから。7回うまれかわるなんて、遠い未来の話だよなあ。

未来のために無茶をするのはやめよう、現在のために穏当な戦いを戦おう…。