「当事者免責原則」

最近よく考えていることなのだが、社会は事件の当事者こそ免責するといいのではないかと思うのだ。

まだ考えが整理しきれてないのだが、死刑というのは、殺人者が死刑になる場合、殺人者が行った殺害方法で刑が執行されるわけではない(される場合もあるかもしれないが)。つまり死刑というのは生存界からの追放なのであって、復讐とは言い切れない。復讐は儀式になりきれないのだ。なにを言いたいのかと言うと、「当事者免責原則」を導入した社会でも別に死刑は廃止されないだろうという話。

話変わって、原爆慰霊碑の文言が変というのも、そういう文言が変になってしまうほどの変異が原爆というものだったのだという意味で、私には、そんなに不可解ではないのだ。

こういう私の感覚は、つまり「当事者免責原則」なのだ。

情報化社会が進展して、みんなだれかを責任者に祭り上げて、有象無象が自分のわがままを通そうとする。この20世紀からの潮流に対抗するには、「当事者免責原則」を布いて、すべての人を当事者にしてしまえばいいのではないかと思うのだ。

これはもうちょっと考えます。