尊敬語と謙譲語から遠く離れて

古雑誌(といっても今世紀のものだが)をめくっていて思いついたこと。「こちらコーヒーになります」「千円からお預かりします」などの接客上のマニュアル言葉というのは、要するに尊敬語と謙譲語をなるべく使わないで、丁寧語だけで接客を成り立たせようということなのではないか。

つまり、民主主義的ではないから。

尊敬語と謙譲語は、敬意のあて先がハッキリしているのに対して、丁寧語は、そこらへんがあいまいで、会話の状況とは無関係に、その従業員がしっかりしていることを表現するだけ、のように思えなくもない。

「こちらにコーヒーをお持ちしました」…これだとまだ丁寧語だけだけど、丁寧さの度合いが上がっていて、私なんかは、こういわれただけでも気がつくし、これが「手前どものコーヒーをお召し上がりください」なんて言われた日には、これ、一杯千円くらいするんじゃないかと思ってしまいそうだ。

一介の平凡な小額消費者には、丁寧語が身の丈にあっているのだ。かえって、敬語を使われたくない。マニュアル製作者たちも、こういう感覚を汲んで言葉づかいを決めているのだろう。(と、私が個人的に勝手に思っているだけですよ、読者の皆さん)

うちは親の代から敬語の使い方はからきしだったから、変な安心(「俺のせいじゃないもんね、親のせいだもんね」)があるのだけれど、この私から見ても笑っちゃうくらいに、両親とも丁寧語一辺倒だったなあ…。まあ、戦後生まれだから、ある意味当然なんだけどね。

お願いします。ありがとうございます。すみません。まあ、これだけ知ってりゃジューブンと言えなくもないが、しかし、貧しいね…。

おはようございます。こんにちは。こんばんわ。(そういえば、なぜ「こんばんは」ではないのだろう?)…私など、下手にテレビ局経験があるものだから、ついいつでも「おはようございます」と言う癖が抜けない。

ひとり暮らしが長くなってきたから、いただきますもあまり言わなく、聞かなくなってきた。

貧しいねえ…。