ババ抜き=資本主義=擬似自然淘汰
…ナンパ塾にくれば彼女ができると勘違いして、一度や二度の失敗で去っていく人がいる。彼らが一番怖い」(『AERA』’08・6・30号 27ページ)
この人、お客様に対してなんて口のきき方をするんだろう…。
まあそれはさておき、なんでみんなこんなにモテナイモテナイって騒ぐんだろうと、私は不思議だったのだが、だんだんわかってきた。
ババ抜きなんだね。
これは嘲りを込めて言うんだけど、喪男として自己規定するヤツは、自分が面食いなのを隠してるよね。ひどいブス、口臭がきつい、顔に痣がある、などなど、そういう女は世間にいくらでもいるのに、そういう女と、喪男と自己規定するヤツはなぜ恋愛してあげないんだろうか。
喪男の主観というものがまずあって、剰余としての肉体、社会的地位を、女という外部の楽園に埋め込むことによって(挿入するわけだ)(←おまえは小泉純一郎か!)、主観を喪失させたい、つまりは忘我の境地に至りたい、くだいていえば、女というてっとりばやいヤクを手に入れて劣等感を解消したいという物語なわけだ。しょうもねえ。来世の女のために他人を殺すアルカイダとそう遠くないな。現世で女を得られない欲求不満で人を殺した秋葉原のあいつは。
劣等「感」なんだから、お前がそれを感じなくなれば、劣等感は消えるんだよ。外部の問題じゃないの。わかるか? 他人を巻き添えにするんじゃない!
戦後、というか戦前からの市場経済化の進展は、個別の人生経験をも序列化するようになった…とまあ、単純にして、索漠たるお話でありました。