『神は妄想である』読了

不幸な人間をどうするのか、ドーキンスを問い詰めたい気がするのだが、相手はそんなの私(ド)の担当じゃないといって、この私の疑問をおいてけぼりにしそうな予感がある。http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20080522/p2

この疑問にドーキンスはやはり直接に答えはしなかったけれども(望まぬ苦しみには安楽死や、薬物の使用を提案している)、しかし、かなり近い領域における、相対的に幸福な人間が、宗教を信じる不幸な人間にみせる、おずおずとした遠慮、にたいして批判する箇所があった。

私の知っている無神論者の大多数は、敬虔なうわべの下にその無神論を隠していると言ってもほとんど言い過ぎではない。彼らはいかなる超自然的なものも信じていないが、不合理な信仰の肩をもちたいといった漠然とした気持ちはある。彼らは信仰を信じているのだ。(『神は妄想である』518ページ)

私もこの批判を受け入れるべきなのだろう。不幸な人間はどうするのか、というような私の疑問は、私の他人に対する度を越した善意でしかないのであろう、要するに私の思い込みだったのだ、と。

私の善意も妄想である、か…。