「ン?」あるいは「ん?」について

私が学生の頃『妊娠小説』を買った時すでに不審だったのだが、本の帯に「ん?」とだけ書くのは、これは、その本の著者が本の中で扱う対象に「あれ、それはちょっとおかしいぞ」と思っていることを表しているのだろうが、本の中身を読む前の私にはどうも、「あれ、ワタシ(私が仮想する著者のこと)、こういう主張をしていていいのかしら」という自問自答のニュアンスに感じられて仕方なかったことだ。

つまりマンガのように、「ん?」と思う人、「ん?」と思われる対象、「ん?」というセリフ、このそれぞれを一度に書き込まないと、こういうニュアンスは受け手(学生だった私)には自明のものとして伝わらないのに、と帯の作者の配慮の足りなさ、あるいは「ゴーマン」が軽く癇にさわったというわけ。

ま、どっちにしろ無駄に偉そうな感じを受け手にあたえて損な表現でしかないな。(追記:谷岡ヤスジのマンガでは、偉そうな感じではなく間抜けな親しげな感じを出すための「ン?」なのであるようだが、それは谷岡の絵柄だからであって(私は今、谷岡の漫画をよく知らないままこれを書いている)、例えば島耕作が「ン?」などと言ったら、その「ン?」の対象は、島と同等か目下の人物となるはずである。しかしその場合でも、自問自答のきっかけとしての「ン?」ならば、特に「偉そう」ではない、か…。)

それとも、以上のような私の推測は全然間違っていて、妊娠小説という聞きなれない言葉に、書店の客が「あれ?」と感じた疑問を、帯が先取りしたという格好だったのかな? その可能性もあるかも知れん…。