「養老孟司先生世代の脳は狂っている」

養老孟司先生世代の脳は狂っているhttp://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/28977297.html


へ?

それって、例えば、思春期に空襲体験があったとか、そういうことでしかないんじゃないの?

それまでの軍国主義日本における「戦争」なんて、国内ではイメージのものでしかなかったんだから…。国内で戦争を知っている人は、戦場から生き残ってきた人だけで(つまり子供ではなかった)、その言動や報道には規制や検閲がかかっていたのだ。ゆえに憶測によるイメージが、たとえば乱歩の「芋虫」みたいに結晶したりするわけで(もちろん伏字の上発禁)。まあこの人は、戦前の日本は軍国主義ではなかったという意見を持っているんだが…。あれが軍国主義でなかったらなにを軍国主義と呼べばいいのか…。

世代によって「空襲体験圧」とか「学生運動体験圧」とか「ファミコン熱中体験圧」とか、そりゃあるに決まっている。そして、もちろん同世代のうちにも体験にどれだけ深く関わったかの偏りがあるのだ。

例えば私は1976年生まれだから、もろにファミコン世代だけれども(コア世代ではないかな)、個人的にあまり興味がなかったことと、家が貧しかったこととで、買ってもらえなかったファミコンにはたいして思い入れがない。買ってもらえなくて悔しいとか、所有している友人宅に押しかけるとかはなかった。ブームが去った後に買ってもらったけれども、たいした感興もなかった。すぐ飽きて本体は埃だらけになった。

私の世代から出る映画監督に、たとえばポール・バーホーベン深作欣二のような才能が伴わないであろうことは、これは自信をもって断言できる。それはいいとかわるいとかの話ではない。深作だってクドカンのような映画は撮れなかっただろう。

養老孟司小熊英二の本に託けて、起こらなかったことにも配慮するのが大切だということも言っているんだよね(『運のつき』)…。やっぱり考えることも必要だよ…。