カミンスキー、好きか嫌いか

蓮實せんせいのお言葉だけを読むためにユリイカを買ったのだが、危惧どおり、せんせいはカミンスキー「だから」スピルバーグがお好きであらせられるようなのだね(ぐちゃぐちゃな敬語だ…)。

要するにせんせいは暗いから最近のスピルバーグが好きなのだということか。なあんだ、である。スピルバーグ作品には、もともと古い映画への言及は初期からあったから、その意味では、せんせいは気にはしていたけど、感性的には最近のカミンスキーの暗い画調が好みであったと…。なるほどというか単純な話…。

ただの感性でしかないものをさも理屈であるかのように話すから、話はややこしくなるのだ。蓮實せんせいの世代は思春期までカラー映画が一般的でなかったんだから、影や闇への感性が、あとあとの世代より相対的に鋭いというのも当然かんがえうる話である、というか、話でしかない…。

インディ・ジョーンズ4』(笑)のカミンスキーは「カミンスキー以前のスピルバーグ」の画調を出すという遊びをしているわけであって、観客は「当然こう来るよな…」とぼんやり思うくらいのことでしかない。こんなことに驚きなんかあるわけない。図書館のシーンが暗すぎて、「カミンスキー、ちゃんと仕事しろよ、地に戻ってるぞ」と笑うくらいしか、観客は思うところなんかありはしない。

好きか嫌いかなんて話を聞かされても、どうしようもない。そうですか、とか、そうだよね、としか言いようがない。(平日のお昼に発せられる「そうですね!」という大合唱をせんせいは聞いたことないのだろうか…、最近見てないからもう止めてるかな…?)ヤヌス・カミンスキーと組むようになって、スピルバーグはニッチを獲得したけど、一般性は失われたという淡々たる現実…。

一般人にとって(日米ともに)、スピルバーグとは、ジョーズ未知との遭遇とETとジュラシックパーク、そしてインディジョーンズの監督さんである。ちょっとした映画ファンなら、激突を見るべしと先輩から勧められるだろうし、真面目な人は、シンドラーカラーパープルも見るだろう。そして、ライアンやミュンヘンでは作者が殺しを楽しんでいる感じが伝わってきて、真面目な人は鼻白む思いがするだろう。

カミンスキーと組んだら、すぐにオスカー像が転がり込んできた「から」、それ以後もジンクスとして、カミンスキーと組んでるだけの話かも「しれない」じゃないか…。仮説とはこういう「理屈」のことをいうのである。だれかスピルバーグにインタビューしてこの仮説を検証してくれないか…。タンタンを映画化する前の下準備に1億8500万ドルをかけるわけがない。未来の行動にかかわる推定は、仮説ではなく願望というのである。

私が蓮實せんせいに困った思いを抱くのは、『未知との遭遇』で、スピルバーグも観客の私たちも、宇宙人やUFOを本気で信じていたのに、せんせいはもとからその狂信を共有していなかったからだ。そういう人に「スピルバーグが好き」といわれても、私は「何で?」と当惑してしまうのである。私たちは本気で宇宙人を信じていたのである。スピルバーグも。きっと現場で(宇宙人なんか信じなかったろう)トリュフォーも居心地悪くしていたにちがいない。スピルバーグが最近になって悪いエイリアンを出すようになったのは、あれはかつて宇宙人を本気で信じていたことへの照れ隠しなのである…。