ちょっと考えてみた

  • 安心というのは不合理なもの

人間が安心をもとめるのがそもそも不合理なのだ。どっちにしろ死ぬし。子どもつくったって、子どもも死ぬし。やっぱり人間って、ドーキンスの言うとおりで、遺伝子に騙されてあやつられてるとしか思えない。あるいは、安心というものは、集団内での優位をえるための「みせびらかしのクジャクの羽」なんだろう。日本では、それは皇室なわけだ。万世一系かつ、君が代は千代に八千代に、なんだから。

  • ニートやワープワが旧世代に勝つには

やはり安心とか幸福という観念を捨ててしまったほうがいい。旧世代はそういうものにすがっていて、かつ金を持っているのだから、現時点で金力で負けてるわれらがやつらと差をつけるには、これしかない。哲学や文学や宗教を捨てて科学の本を読もう。経済学者の言うことなんか話半分に聞いておこう。一日でも長く生き延びて、旧世代が死ぬのを、政府が相続税を巻き上げるのを待とうじゃないか。

  • 趣味というのは「みせびらかしのクジャクの羽」だ

趣味なんかなくても死なない。きみの存在はまったく変わらない。趣味や娯楽は、支配者がきみを奴隷としてしばりつけておくためのワナなのだ。惰性で消費している音楽やゲームはすぐにやめよう。問答ゲームよろしく論客の本を読むのに時間をつぶすことをすぐやめよう。それよりも歯を磨こう。ジャンクフードを食べることをやめよう。健康に気をつかい、しかし健康であることをみせびらかすことはやめよう。娯楽や趣味のために、睡眠時間をけずることほど愚かなことはない。それよりも図書館からリチャード・ドーキンスの『神は妄想である』(早川書房)を借り出して(なかったら受付にリクエストを出そう)、じっくりと読もう。この本はきみの大切な休日をつぶしてまでも読む価値がある本だ。