どちらかというと先生のほうが偏っているのでは?


それが悪いとかではなしに、単に事実の問題として。というのは、川田の著作目録を眺めていて「源三位頼政 春秋社 1958 」という書名が見えたからで、源三位入道は先生のかつてのミクシーのHNだったことだし、まあこのウィキペディアの川田の項目じたい先生の手がかかっているのかもしれないけれど(未確認)、とりあえず、白洲正子川田順より有名であるだろう、その点にかぎっては、無名故人にも敬称をつけるという基準?の書き手が白洲を呼び捨てにし、川田に氏をつけることをおかしいとはおもいません。

すくなくとも平成年間においては、白洲の方が川田より有名なことは問答無用の事実であるとおもいますよ。もちろん歌壇とか、そういう特定集団のなかでは、かわってくることでしょうけど。

「最近の、にわか日本古典ファンのミーハーおばさん連ならいざ知らず」という記述をみておもったのですが、私のような、とくに白洲の自著を読むことのない「一般人」が白洲によせるイメージとは「林真理子中野翠が私淑している、着物と能などにくわしい上流夫人」というようなものなのですが…。古典についても一家言ある(そりゃ能に詳しきゃあるにきまってるんだが…)なんてのは、私は今回検索して初めて知ったことです。参考までに書付ときます。

とはいえ現象の説明なんて無数にひねりだせるのだから、「実に分からん」の一言で済ますのはもったいない。