セーガンの妊娠中絶議論

『百億の星と千億の生命』において、カール・セーガンは、レイプによる妊娠中絶の「正しさ」にも疑問を呈しているのが面白い。生命権が受胎の状況に依存する理由があるのか、というわけで、たしかにそうだねえ…、と思うのだ。

人格というのはあきらかに獲得形質であって、獲得形質は遺伝しないというのが進化論のとくところなのだから、レイプ犯の子をおろすのも、たしかに文化的営為ではある。科学的根拠はない…。

以下は私の空想だが、架空の国家、「生命至上主義国」においてレイプ事件が発生し、被害女性が妊娠したら、国家は彼女に、手厚い保障のもとに子どもを出産させ、里子に出させる…ということになるのか。