表現のニュアンスは時代によって変わる

アトム「でも南極ってずいぶんロボットがみじめですねえ」
ロボット農場主「フンたしかに その点についてはごもっともだ」
講談社漫画文庫版『鉄腕アトム』03巻「ブラックルックスの巻」より(23ページ))





ヒゲオヤジ「フンどんな都合か調べてやるぞ」
(同(31ページ))

南極で鯨を養殖している農場主は自身もロボットで、隔離政策のもとにあるロボットの身の上を、アトムとともに嘆じる。

農場主はロボットだが、でっぷりふとったおっさんとして表現されていて、しかし、この「フン」はなにもアトムの認識(「ロボットがみじめですねえ」)を軽蔑して一蹴した表現ではない。今だったら「アアたしかに」とか「ウ〜ムたしかに」とか「…たしかに」とかに表現を直した方が無難だろう。

自分を殺そうとした悪徳警察署長のいいわけに耳を貸さないヒゲオヤジの「フン」は、いまでも読者に違和感をあたえることなく通用するだろう。

「ブラックルックスの巻」の初出は昭和32年。初出とのちの版とで、セリフの変更があるのかどうか私にはわからないが、この講談社漫画文庫版と、講談社全集版とのあいだには、引用部にかぎっては違いはない。

なにしろ、私が子供のころ、全集版でこれを読んでいて、農場主の発した「フン」に違和感を感じていたのだから…。(というわけでこの項、20数年越しの構想期間を閲しているのである…、私もしつこい)