『氷点』

100ページほど読みすすむ。売れた小説だけあって、作者の筆の運びが類型的かつ説明的なので読みやすい(と、いう表現は別に作者に対する悪口には当たらないと思うが←と、念を押す程度には悪口として通じてしまうであろう)。「村井は高木の遠縁だった」には、失礼ながら吹いてしまった。でも、べつにいいではないか。

『氷点』の中に神様はいるのである。つまり読者という神が。村上ファンドじゃないが、辻口の葛藤という普通目に見えないものを、読者は克明に「見ちゃったんですよねえ」というわけだ。辻口にも女児をいたずらしてそれが露見しなかった過去がある、なんていう作者の念押し(上巻93ページ)などがあるのも、「まあ、いいけど…」である。

辻口の決断に真実味をあたえるための堀埋め作業を、目下作者はしているわけだが、さて、どうだろう…。善を立証しようという行いに、すでに善ならざるものが潜んではいないか。