怪獣映画とテレビ

唐沢俊一検証ブログ氏が、ガンダム論争についてとりあげはじめた。わくわく。

直近の投稿に書いたように、私は『未知との遭遇』を先に見たからウルトラマンを古臭く感じたのだけど、竹熊健太郎氏も、ウルトラマンがメディア体験のベースにあったので仮面ライダーから特撮見始めた下の世代とは自分は違うという意味のことを『私とハルマゲドン』で書いていた。

それ以前には、しかし、仮面ライダーよりもウルトラマンよりもゴージャスな特撮を、当時の子どもは映画館で、有料で(しかし今よりは割安だが)、見ていたのだよなあ…。

初期の東宝怪獣映画は、とりあえずはストーリーで見せていたのが、しかし後年は怪獣プロレス性を強調するようになっていって、ウルトラシリーズも似たような変遷をたどるのが面白い。帰りマンからは、まあ怪獣プロレスになってしまったといっていいだろう。怪獣の造形も雑になってくる。ライダーや戦隊ものの怪人が等身大なのはミニチュアセットをつくらずに済ます方便だったし(戦隊ものの怪人は巨大化するが)。

戦後のオタク文化って、怪獣と覆面ヒーローとロボットの順列組み合わせみたいなものだよな…。最初はベムラーという名で構想されていたカラス天狗みたいなヒーローが、なぜロボットじみた銀色の光沢の体表に、胸に電球をあしらったデザインになってしまったのか、不思議な感じがするのである。