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ドクターマークスが「疑似科学(偽科学pseudoscience)に関する議論が盛んなそうだ」と言っている。その記事にコメント。

無神論だって立派な信仰だから「教徒」)http://d.hatena.ne.jp/DrMarks/20081120/1227169817


もちろん自説がいちばん正しいと思い上がっている無神論者はいくらでもいるだろうが、そんな馬鹿が無神論者のすべてではない。私も無神論者だが、宗教心や信仰心の存在まで虚偽とかまやかしだとは思わない。ふつうに考えれば神なんていないだろうから、いないだろうと考えて「いる」だけだ。

たとえばリチャード・ドーキンスは「宗教がなくなれば戦争がなくなる」といっているが、これは無神論という信仰が発する他者への命令ではない。信仰をもっている人に、実験を呼びかけているのだ。ドーキンスは英国人だから、日本人の世間信仰を知らないだろうし、アジアに広まっている仏教についても(人格神信仰ではないから)人生観にすぎないのだと解釈していたり、まあいろいろあやしいのだが(ブッダ教だって、キリスト教マルクス教なみにやばいに決まっている)、一聴の価値はある。

DrMarksのアフォー! 神学・聖書学が科学か?


そんなレベルの低い野次を飛ばすわけがない。聖書学というのは要するに文献考証なのでしょう? 書誌学が科学なのは当然の話だ。ただし神学が科学というのは肯えない。「哲学は神学の婢」という言葉もあったし…。

そのように考えると、科学には権威など原理的に存在しない。いつでも結果が転倒する可能性を含むからである


引力がまえぶれもなく消滅するかも、などと想像していたら、安心して暮らせない(人は前触れもなく死ぬことがあるという事実は、これは自覚しておいて「も」いい)。結局ドクターマークスは人間中心主義という思考の枠にとらわれていることを自覚していないのである。わたしは四十億年だか前に特殊な凝集をはじめた物質の変転の果ての存在でしかないと自己認識しているのだが…。

猫猫先生、他人がガヤガヤやっているのを遠巻きにして「平和だな」と嘯くのも、「茶番だな」と嘯くのと同じくらいの脊髄反射ですよねえ…。