背景にあるものを手前の人物は目にすることができないはずなのに…

『ピンクカット 太く愛して深く愛して』を見た。ヴェーラにて。

あわや就職浪人という危機に直面した大学卒業間近の伊藤克信が、夜中の公園で就職祈願として気合をいれる*1。応援団だったのだろうか、それとも後段の、伊藤が意外と喧嘩が強かったことへの伏線か。

カメラにむかって伊藤が正対して、背景に丸の内の大企業のビル群が電飾で表現されるのだが、こういう画面は、要するにマンガでおなじみの構図を映画でやってみたかった、ということなのだろうか。

背景にあるAが、登場人物Bの願望の対象であって、読者CはAとBを同時に見ることで(あるいはBの視線の経路となることで←これ、私の発見というか思いつきなのだが)登場人物Bへの感情移入を促す…、というわけだが、この映画ではあまりうまくいっていない。電飾の装置が大雑把で、ビルには見えないというのもあるが…。

付記。これはマンガ以前にポスターの技法だったか。たとえばナチス旗を背景にふんぞり返るヒトラーは、ならば実際にはなにもない青空(あるいは畳鰯のようにうじゃうじゃ集まっている民衆)を眺めていたわけだ(こういう想像をしたこと、あなたはありました?)。感情移入とか、動員のテクニックは奥が深そうだ…。

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/えっさっさ#.E3.82.A8.E3.83.83.E3.82.B5.E3.83.83.E3.82.B5