紙のうえの怪獣映画という私の原体験

私はテレビで特撮ものを浴びるように見て、そして子供だったので過去の怪獣映画をおいかけて見るという発想がなくて、仕方ないからケイブンシャ怪獣図鑑なんかで怪獣をみたいという欲求をみたしていたのである。同時代の戦隊ものが軽くていやだった。円谷もアンドロメロスという、ウルトラマンに鎧を着せてロボット風にしたシリーズを企画したりして低迷していた。

幼い私の心の中だけで、過去の東宝怪獣たちは動いていたわけで、といってもテレビ番組で、怪獣映画のどこか一部分だけは資料映像としてちらちら見られることもあったのだし、昭和三十年代の特撮を映像として全く知らなかったわけではない。また、無条件に怪獣が好きなわけでもなく、中高生の頃はとくに凝ってたわけでもないし、平成ゴジラシリーズは見たこともないし興味もなく今に至っている。要するに現在の私の興味は、幼児の頃の私をとりまいていた環境の起源を、あのころの特撮映画に求めることにあるわけである。

ドグラ・マグラ』は胎児の夢だが、いまの私は幼児の頃の私の夢をふたたびふり返っている…。

子供の頃からなにかを好きでいるというのはどういうことなのだろう。脳はものを考えるところではない、という「脳髄論」の顰みにならえば、私が特撮ものを好きだったというのは、あくまで主観的な感覚でしかなくて、ただ単に、幼児の私は特撮ものしか知らなかったというだけの話でしかなかったのだ

こういうことを考えながら、私は、フィルムセンターに通ってるんですケド…。