僕が死ぬときは、あるいは、君が死ぬときは、せめて、君の顔を、僕の視界いっぱいに、間近に見ていたい…

インクレディブル・ハルク』を見に新橋文化へ行って、『ハプニング』の後半につきあったのだけれど、これ、もともとそれほど嫌いな映画ではなかったのだが、さらにいいと思い直した。

あの頻出するアップの意味が分かったような気がしたのだ。その心は、つまりは、↑タイトルのようなことなのではないかというわけ…。

母屋と離れに夫婦が分かれていたのを、マーク・ウォールバーグが思いたってズーイー・デシャネルに近づいていくことの、視覚的な意味は、つまり、そういうことだもんね…。

これに気付いたときは、ちょっと肌が粟立ったと言うか、正直、感動したわけ…。